Y.T.さん〔発症時=平成22年11月、61歳、女性、パート&主婦〕
発症からわずか一週間で呼吸困難にまで陥りましたが、入院2ヶ月間でリハビリ病院に転院することなく、退院することができました。61歳でもここまで回復できたことで、少しでもご参考になればと思い、投稿させていただきました。
<11月15日~24日>脳神経外科病院入院・・ステロイド療法
(症状悪化のため?か人工呼吸器をつけた時点(3日間)で中止)
・ 15日朝、頭痛がして、脳神経外科病院へ行く。持病の血圧が高いということで、血圧を下げる薬をもらい、足元がフラフラしながらも自力で自宅へ戻る。夕方には足に力が入らず、歩けなくなり、救急車を呼んだが、受け入れ先の病院が決まらず、結局、朝受診した脳神経外科病院に入院。脳に異常はなく、ギラン・バレー症候群と診断され、ステロイド療法が始まる。
・ 日々、症状が悪化。ろれつがまわらない、目の焦点が定まらず、眠っていても瞼を閉じる事が出来ない、幻覚が見える、うわごとを言う、食べ物が逆流する、口から泡をふく、全身麻痺(特に足にまったく力が入らず、ぐにゃぐにゃな状態)、意識混濁、瞳孔が開き、人工呼吸器をつけるほど、重症に陥ったため、大学病院の神経内科に救急車で搬送される事になる。肺炎併発。
・ この頃から看病に来た者が足のマッサージ(血液が足先にたまらないように下から上へやさしくなでる)をできるだけ行う。
・ 23日には突如、意識がはっきりしてきて、少し指が動くようになり、文字盤で会話出来るようになる。
<11月24日~1月7日>大学病院神経内科へ転院・・・ガンマ・グロブリン大量療法、 ステロイド療法(残り2日分)・肺炎治療
・ ガンマ・グロブリン投与後も、手、足、顔面の麻痺がなかなか改善されず落ち込む。手と足は常に電流が走っている状態。床ずれ防止用の電動ベッドのため、少し身体を動かすと、頭からつま先まで、微電流が走り、休まる事が出来ない。
・ 本当は、ベッド上にあるべき両足は、感覚的には、空中に左右バラバラに飛んでいる。自分の足をゆっくり摩ってもらうと、一本ずつ自分の足とつながる。
・ 車椅子に移動するのに、看護師3人の手が必要となる。自分の身体に力が全く入らないことを知る。車椅子に乗っても、腰掛けている体は空中に浮かんでいる感覚。
・ 担当医から、ギラン・バレー症候群の中でも重症なので、障害が残る事は免れないと、知らされる。
< 12月1日~12月6日>
・ 人工呼吸器が外れる。外れた当日はかなり呼吸がつらかった。膝を5センチほど上げる事が出来る。
・ 昼夜関係なく、足、身体に刺すような痛みが出る。・・・担当医によると、神経が動き出しているので、好転反応と言えるようです。
・ リハビリが始まる。横になり寝た状態から起き上がる練習、身体のストレッチ。こつを教わると翌日には、出来るようになり、嬉しくなる。
・ 言語療法士から、全く異常がないと言われ、嬉しくなる。
・ 微熱は連日あり、熱にも少し慣れてくる。
< 12月7日~12月12日>
・ 自分の名前を書くよう言われ、書いてみると、手がぶれて、うまく名前が書けない。
・ 首からの点滴が、2本はずれ、苦しみから解放される。
・ 手足の筋肉が、かなり落ちてしまったので、ベッドの上でもリハビリをする、こっそり立ち上がる事が出来ました。
・ 教授回診時、「あれ、顔面麻痺治ったの?」と、言われる。「レベル3まで落ちた人なのに、凄いね」と、言われる。
・ 相変わらず、胸が苦しく、深い呼吸が出来ない。心臓が悪いのでは、ということで心臓の検査をするが異常なし。
・ 胸が苦しい上に、電動ベッドが動いて胸がもっと締め付けられ、呼吸が苦しくなることを、担当医に告げ、電動でないベッドに変えていただく。
<12月13日~12月17日>
・ 担当医から、ギラン・バレー症候群の緊急の手当てが済んだので、早々に専門のリハビリセンターに転院した方がよいと、言われる。
・ 消灯の時間が来ても、身体にエネルギーが湧いてくる感覚がするので、室内で立ち上がり、横歩きの練習をしていました。
・ 手足の麻痺はまだあるため、気長にマッサージを続けた。
<12月18日~12月25日>
・ 昨晩から、おかゆ食から普通食になる。
・ 指のリハビリ始まる。・・・箸を使う、粘土で指先のリハビリ。先生が描いた図形をまねて描いてみる。沢山の棒山図形に色キャップをかけて、図形を完成させる。
・ 相変わらず、胸が苦しい(締め付けられる様な感じ)。自分自身で、心臓から血液がスムーズに流れ出すイメージをしてみる。
・ 看護師さんの噂を聞き、二人の担当医の先生が私の立っている姿を見にみえる。
・ 24日胸の苦しみ90%消える!
・ 太ももから足先まで絞られるような感覚が急に開放される、麻痺は、足首から先だけになり、嬉しい。
・ 教授回診時、立ち姿を見たいと言われ、披露しました。外泊許可もでました。
・ 2階の病室回りを2周歩く事が出来ました。
・ 一人でお風呂に入ることが出来ました。
<12月25日~12月31日>
・ 健康体のときに比べ、体重は7キロ落ちてしまいましたが、根気よくリハビリして、筋肉をつけたいと思います。
・ 足首から先の麻痺が残っていますが、足のグー、チョキ、パーが出来るようになりました。
・ ある看護師さんが、「リハビリ病院へ転院する人は皆、車椅子で移動するので、貴女のように歩いていく人はいません。本当に転院すべきか担当医に相談されたら?」と、こっそりご親切に教えていただきました。私の場合、次の病院が決まっていましたが、担当医に相談し、転院の必要がないと判断されました。余りにも、期間が短いので、担当医の先生は戸惑ってみえたのでしょう。
・ 29日、右足の裏の感覚戻る。家族と一緒に外食にお出かけしました。
・ 30日全く胸の苦しみが無くなりました。
<1月1日~1月7日>
・ 3日・・左足裏の感覚戻る。地に足がついている感じで、しっかり歩ける。(麻痺、ピリピリ感の中にも)
・ 階段・・・右、左、交互に足運び出来る。
・ スキップ、ジャンプが出来るようになる。
・ 担当医からそろそろ退院を考えましょうと言われ、7日に退院となりました。
<1月7日~現在>
・ 退院翌日より電車で買い物に行くことができました。
・ 徐々に体力もついてきました。
・ 若干まだ足の小指が感覚がない等、細かい症状はありますが、ほぼ元の生活を送ることができています。
・ つい1―2ヶ月前まで寝たきりだったのが不思議でなりません。
今回の病気で、西洋医学の素晴らしさを知りました。しかし、重症で、障害が残るとまで言われた私が何故驚異的な回復をしたのか、と言われれば、補助的に気療という、素晴らしい自然エネルギーを取り入れた事は、隠す事が出来ません。
私の経験が少しでも参考になればと、投稿させていただきました。
平成23年4月現在では、筋肉もつき、難しかった地べたに座ること、立ち上がることもだいぶスムーズになりました。足先に若干の麻痺はありますが、ほとんど元に戻ることが出来ました。
発症からわずか一週間で呼吸困難にまで陥りましたが、入院2ヶ月間でリハビリ病院に転院することなく、退院することができました。61歳でもここまで回復できたことで、少しでもご参考になればと思い、投稿させていただきました。
<11月15日~24日>脳神経外科病院入院・・ステロイド療法
(症状悪化のため?か人工呼吸器をつけた時点(3日間)で中止)
・ 15日朝、頭痛がして、脳神経外科病院へ行く。持病の血圧が高いということで、血圧を下げる薬をもらい、足元がフラフラしながらも自力で自宅へ戻る。夕方には足に力が入らず、歩けなくなり、救急車を呼んだが、受け入れ先の病院が決まらず、結局、朝受診した脳神経外科病院に入院。脳に異常はなく、ギラン・バレー症候群と診断され、ステロイド療法が始まる。
・ 日々、症状が悪化。ろれつがまわらない、目の焦点が定まらず、眠っていても瞼を閉じる事が出来ない、幻覚が見える、うわごとを言う、食べ物が逆流する、口から泡をふく、全身麻痺(特に足にまったく力が入らず、ぐにゃぐにゃな状態)、意識混濁、瞳孔が開き、人工呼吸器をつけるほど、重症に陥ったため、大学病院の神経内科に救急車で搬送される事になる。肺炎併発。
・ この頃から看病に来た者が足のマッサージ(血液が足先にたまらないように下から上へやさしくなでる)をできるだけ行う。
・ 23日には突如、意識がはっきりしてきて、少し指が動くようになり、文字盤で会話出来るようになる。
<11月24日~1月7日>大学病院神経内科へ転院・・・ガンマ・グロブリン大量療法、 ステロイド療法(残り2日分)・肺炎治療
・ ガンマ・グロブリン投与後も、手、足、顔面の麻痺がなかなか改善されず落ち込む。手と足は常に電流が走っている状態。床ずれ防止用の電動ベッドのため、少し身体を動かすと、頭からつま先まで、微電流が走り、休まる事が出来ない。
・ 本当は、ベッド上にあるべき両足は、感覚的には、空中に左右バラバラに飛んでいる。自分の足をゆっくり摩ってもらうと、一本ずつ自分の足とつながる。
・ 車椅子に移動するのに、看護師3人の手が必要となる。自分の身体に力が全く入らないことを知る。車椅子に乗っても、腰掛けている体は空中に浮かんでいる感覚。
・ 担当医から、ギラン・バレー症候群の中でも重症なので、障害が残る事は免れないと、知らされる。
< 12月1日~12月6日>
・ 人工呼吸器が外れる。外れた当日はかなり呼吸がつらかった。膝を5センチほど上げる事が出来る。
・ 昼夜関係なく、足、身体に刺すような痛みが出る。・・・担当医によると、神経が動き出しているので、好転反応と言えるようです。
・ リハビリが始まる。横になり寝た状態から起き上がる練習、身体のストレッチ。こつを教わると翌日には、出来るようになり、嬉しくなる。
・ 言語療法士から、全く異常がないと言われ、嬉しくなる。
・ 微熱は連日あり、熱にも少し慣れてくる。
< 12月7日~12月12日>
・ 自分の名前を書くよう言われ、書いてみると、手がぶれて、うまく名前が書けない。
・ 首からの点滴が、2本はずれ、苦しみから解放される。
・ 手足の筋肉が、かなり落ちてしまったので、ベッドの上でもリハビリをする、こっそり立ち上がる事が出来ました。
・ 教授回診時、「あれ、顔面麻痺治ったの?」と、言われる。「レベル3まで落ちた人なのに、凄いね」と、言われる。
・ 相変わらず、胸が苦しく、深い呼吸が出来ない。心臓が悪いのでは、ということで心臓の検査をするが異常なし。
・ 胸が苦しい上に、電動ベッドが動いて胸がもっと締め付けられ、呼吸が苦しくなることを、担当医に告げ、電動でないベッドに変えていただく。
<12月13日~12月17日>
・ 担当医から、ギラン・バレー症候群の緊急の手当てが済んだので、早々に専門のリハビリセンターに転院した方がよいと、言われる。
・ 消灯の時間が来ても、身体にエネルギーが湧いてくる感覚がするので、室内で立ち上がり、横歩きの練習をしていました。
・ 手足の麻痺はまだあるため、気長にマッサージを続けた。
<12月18日~12月25日>
・ 昨晩から、おかゆ食から普通食になる。
・ 指のリハビリ始まる。・・・箸を使う、粘土で指先のリハビリ。先生が描いた図形をまねて描いてみる。沢山の棒山図形に色キャップをかけて、図形を完成させる。
・ 相変わらず、胸が苦しい(締め付けられる様な感じ)。自分自身で、心臓から血液がスムーズに流れ出すイメージをしてみる。
・ 看護師さんの噂を聞き、二人の担当医の先生が私の立っている姿を見にみえる。
・ 24日胸の苦しみ90%消える!
・ 太ももから足先まで絞られるような感覚が急に開放される、麻痺は、足首から先だけになり、嬉しい。
・ 教授回診時、立ち姿を見たいと言われ、披露しました。外泊許可もでました。
・ 2階の病室回りを2周歩く事が出来ました。
・ 一人でお風呂に入ることが出来ました。
<12月25日~12月31日>
・ 健康体のときに比べ、体重は7キロ落ちてしまいましたが、根気よくリハビリして、筋肉をつけたいと思います。
・ 足首から先の麻痺が残っていますが、足のグー、チョキ、パーが出来るようになりました。
・ ある看護師さんが、「リハビリ病院へ転院する人は皆、車椅子で移動するので、貴女のように歩いていく人はいません。本当に転院すべきか担当医に相談されたら?」と、こっそりご親切に教えていただきました。私の場合、次の病院が決まっていましたが、担当医に相談し、転院の必要がないと判断されました。余りにも、期間が短いので、担当医の先生は戸惑ってみえたのでしょう。
・ 29日、右足の裏の感覚戻る。家族と一緒に外食にお出かけしました。
・ 30日全く胸の苦しみが無くなりました。
<1月1日~1月7日>
・ 3日・・左足裏の感覚戻る。地に足がついている感じで、しっかり歩ける。(麻痺、ピリピリ感の中にも)
・ 階段・・・右、左、交互に足運び出来る。
・ スキップ、ジャンプが出来るようになる。
・ 担当医からそろそろ退院を考えましょうと言われ、7日に退院となりました。
<1月7日~現在>
・ 退院翌日より電車で買い物に行くことができました。
・ 徐々に体力もついてきました。
・ 若干まだ足の小指が感覚がない等、細かい症状はありますが、ほぼ元の生活を送ることができています。
・ つい1―2ヶ月前まで寝たきりだったのが不思議でなりません。
今回の病気で、西洋医学の素晴らしさを知りました。しかし、重症で、障害が残るとまで言われた私が何故驚異的な回復をしたのか、と言われれば、補助的に気療という、素晴らしい自然エネルギーを取り入れた事は、隠す事が出来ません。
私の経験が少しでも参考になればと、投稿させていただきました。
平成23年4月現在では、筋肉もつき、難しかった地べたに座ること、立ち上がることもだいぶスムーズになりました。足先に若干の麻痺はありますが、ほとんど元に戻ることが出来ました。
(平成23年4月記)
この闘病記は、「ギラン・バレー症候群のひろば」の管理人であった田丸務様を通し、Y.T.様ご本人に転載のご意向を確認した上で、掲載しております。