闘病記(英様)

英さん 〔発症時=平成26年5月、20歳、女性、大学生〕



 【発症まで(5/125/28)】

 私がギラン・バレー症候群になった原因は、食中毒でした。

 5/12、同じ大学の友人達と飲食店で女子会をしました。その3日後、友人1人が発熱下痢などの症状で病院に行き、食中毒と診断されました。他に3人も同様の症状が出ていたそうです。

 その時は私に何も症状は出ていなかったのですが、さらに3日後、私も38.8度の高熱と下痢、激しい腹痛に合いました。

 友人が保健所に連絡し、検便を行ったところ、症状の出た6人のうち3人からカンピロバクターウイルスが検出され(私含め抗生物質を処方していた人からは検出されず)、食中毒と認められました。私の症状は4日ほどで治りましたが、その後再び38.5度の高熱と下痢になりました。

 そして、食中毒の発症から10日後(5/28)に、足に違和感がありました。足が重く動かしにくい。普通の人の半分くらいの速度でしか歩けない。膝が震える。

 私はこのときギラン・バレー症候群を疑いました。カンピロバクター食中毒から稀にギラン・バレー症候群を併発するとネットで見ていたので。

 ですが、この時点で症状は足の筋力低下のみ。腱帯反射の消失やしびれなどの症状はなかったのですぐには病院に行かず、様子をみることにしました。

 家族に「足の筋力が落ちた」と話してみても、「ずっと寝込んでいたからだろう」と言われたこともあって、そうかもしれないと思ったからです。


 【入院まで(5/286/4)】

 最初に足に違和感を覚えてから3日間は症状が横ばいでした。歩くのが遅く疲れやすいだけ。倦怠感がひどかったので、大学から帰宅後はずっと横にならないと、しんどかったのです。

 週末になると、不思議と足の筋力低下は治っていきました。普通の人の半分くらいの歩行速度は普通よりちょっと遅いかな?という程度まで回復しました。疲れやすさは変わりませんでしたが。

 家族の言う通り、ただの筋力低下だったんだ、ギラン・バレー症候群じゃなかったんだと安心しました。

 しかし安心したのも束の間、週明け火曜日(6/4)の朝、前日疲労が募り、早くに就寝したというのにひどい倦怠感と脱力感で、全身が思うように動きませんでした。それでも、ギラン・バレー症候群ではないと思っていた私は、そのまま大学に行ったのですが、眠気と脱力感でまともに授業は受けれず、段々と手の力が入らなくなっていき、シャーペンを持つことすらできなくなりました。これはさすがにおかしいと思い、ふらふらしながら帰宅しました。

 親に「ギラン・バレー症候群かもしれない」と打ち明けると、聞き慣れない病名に親もはじめ半信半疑な顔でしたが、すぐにギラン・バレー症候群を診断できる神経内科の病院を調べてくれました。

 神経内科では、やはり食中毒感染と筋力低下の症状からギラン・バレー症候群と診断されてしまいました。腱帯反射もありしびれはなかったので、先生も悩んでいましたが、多分そうだろうと。

 私はそのまま、紹介された市立の総合病院に入院することになりました。


 【入院〜退院まで(6/46/13)】

 総合病院の主治医の先生もギラン・バレー症候群と診断し、その日は髄液検査、採血、心電図、レントゲンを撮り、免疫グロブリンの投与が始まりました。初めての入院、さらに救急病棟に緊張してなかなか寝付けませんでした。

 入院2日目朝、顔の筋肉が強ばっているのに気がつきました。呂律も少し回らず、ゆっくりでしか会話ができません。瞼も重くなっていました。しかし、お昼過ぎになると会話スピードも元通りになりました。目元の筋肉はまだうまく力が入りませんでしたが。そして、その日は神経伝導検査と検便を行いました。

 結果から、私の場合は筋肉に関係する運動神経のみ損傷していて、感覚神経は無事なため、しびれや感覚麻痺がないのだろうと言われました。この日は30m連続で歩けました。足首の力は結構残っていたので、ふらついてもバランスはとれたので、倒れるようなことはありませんでした。

 入院3日目、無理に右腕を使っていたため、この日から右腕が動きにくくなり、食事は左手で食べるときもありました。それでも自力でトイレと食事ができるくらい私は元気でした。あと、この日からリハビリが始まりました。

 夜には38度の熱と眠れないほどひどい頭痛になり、痛みによるストレスと不安感から過呼吸になってしまいました。過呼吸で全身の筋肉が石のように硬直したときは、さすがに怖かったです。

 入院4日目、頭痛はなくなり平熱になりましたが、食欲がなくなりほとんど何も食べませんでした。症状の進行が見られないため、一般病棟に移ることになりました。

 入院5日目、グロブリン投与最終日。段々よくなっているのを実感できました。

 入院6日目、自分の限界を過信していたために、少し歩きすぎて歩けなくなり車椅子で移動することになってしまいましたが、ゆっくり休めばトイレくらいは歩いていけました。特に右足の筋力が弱く、引きずるように歩いていました。入院時、一桁しかなかった握力が二桁になりました。

 入院7日目、やはり右足が弱く、午後には引きずってしまいます。普段の生活習慣で筋力に差がついてしまったのだと思うと、反省しました。

 入院8日目、足は変わらなかったのですが、腕の筋肉はめきめきよくなっていきました。握力は右1714で、不便は感じませんでした。初めてリハビリで階段練習をしましたが、二足一段でなんとか上り下りができる程度で、自分ではいけると思っていただけにびっくりしました。この日、2回目の神経伝導検査を行いました。この結果次第で退院時期を考えると言われたので、わくわくしました。また、この日から免疫グロブリンの副作用で手足に水泡が出来てかゆくなっていきました。

 入院9日目、足もよくなったと感じてきました。歩き方もゆっくりではありますが、滑らかになってきました。

 入院10日目、歩行の遅さと疲れやすさ以外に支障はまったく感じなくなりました。元気なので早く退院したくてしょうがなかったので、退院はいつですかと何度も聞いていると、そろそろ退院しても大丈夫と言われたので、その日そのまま退院しました。退院前、リハビリの先生とどこまで歩けるのか試してみたところ、300mは連続で歩けるようになっていました。


 【退院〜現在(6/13~)】

 自宅療養が始まると、家では入院中にやっていたリハビリと散歩をするようになりました。リハビリでは股関節周りの筋トレをやっていました。股関節周りの筋肉を鍛えると歩行が滑らかになるそうです。

 動けば動くほどよくなり元通りの生活に戻れると信じていた私は、軽症なら早く大学に復帰しなければという焦りから、少しリハビリをやりすぎてしまいました。無理に歩きすぎた結果、せっかく普通に歩けるようになっていたのに、入院している頃のような足を引きずった遅い歩行に逆戻りしてしまったのです。結局、入院期間と同じ10日間ほどで普通に歩けるようになりましたが、無理に動きすぎてはいけないと学びました。

 それからは、次の日に疲れが残らないように、少しずつ少しずつ運動を増やすようにしていきました。あまりに慎重になりすぎた結果、回復が遅れたかもしれませんが、無理をすれば元通りになってしまうと思うと、ゆっくりでいいんだと思います。

 大学には、退院した次の週から、少しずつ出席するようにしました。最初は1日、次は2日、次は午後から毎日、といったように。1ヶ月はタクシーを使わなければ家まで帰れませんでしたが、徐々にバスや電車も休憩しながら使うようにしました。


 現在、発症から2ヶ月弱経ちました。ようやく通院も終了し、特に不便も感じず日常生活を送れています。完全に元通りの生活に戻れるよう、まだまだ筋トレや散歩を続けていきます。



 最後に、私がここの「闘病記」に投稿しようと思ったのは、私はインターネットの情報のおかげで、この病気は治っていくものだと、完治できるのだと事前にわかったため、入院中いつでも前向きでいられたからです。暇な時はこちらのサイトの「闘病記(投稿)集」を読んでいました。ほとんどの方が完治し元通りの生活を送れている、それがわかっただけでうれしかったです。良くなったり悪くなったりするずるずるした症状で少し変わっていると言われましたが、重症化しやすいと書かれていたカンピロバクター食中毒からのギラン・バレー症候群でここまで軽症でいられたのは本当に幸いだったと思っています。

 今闘病中の患者様、ご家族の方に、私の経験で少しでも元気づけられたらうれしいです

                       (平成26年8月記)


この闘病記は、「ギラン・バレー症候群のひろば」の管理人であった田丸務様を通し、英様ご本人に転載のご意向を確認した上で、掲載しております。